この記事は、壬申戸籍シリーズ全8本構成の3本目です。
壬申戸籍シリーズ全体の流れや制度の位置づけを最初から確認したい方は、1本目の以下の記事から読むと理解しやすくなります。
壬申戸籍(明治5年式戸籍)とは?日本初の全国戸籍制度の全体像
前回の2本目の記事では、壬申戸籍がなぜ必要とされたのかを、宗門人別改帳との違いや明治政府の国家統治の必要性から解説しました。
壬申戸籍はなぜ作られた?宗門人別改帳から近代戸籍への転換を解説
今回はその続きとして、壬申戸籍がどのような構造で作られていたのかを解説します。
壬申戸籍を理解するうえで重要なのは、何が書かれていたかだけではありません。誰を中心に、どの順番で、どの単位で記載していたのかを見ることで、明治初期の国家が社会をどう把握しようとしていたのかが見えてきます。
壬申戸籍は、現在の戸籍のように個人を中心に見る制度ではありませんでした。その中心に置かれていたのは個人ではなく家です。ここを押さえると、後の家制度や戸主制度につながる発想もかなり見えやすくなります。
壬申戸籍は個人の登録簿ではなく家の台帳だった
現在の戸籍制度を見慣れていると、戸籍は個人の身分関係を記録するものだと感じやすいです。実際、現在の戸籍では、誰が父母で、誰が配偶者で、誰が子かという個人ごとの関係が中心になります。
しかし壬申戸籍は、その発想とはかなり違います。壬申戸籍が把握しようとしたのは、まず一人ひとりの個人ではなく家という単位でした。
つまり壬申戸籍では、
・どの家が存在するのか
・その家の中心は誰か
・その家に誰が属しているのか
を国家が把握することが重視されていました。
このため壬申戸籍は、今の感覚でいう個人別の登録制度というより、家を単位にした社会把握の台帳に近い制度だったといえます。
戸主が最初に置かれたのは家の中心人物だったから
壬申戸籍の構造を考えるうえで、最も重要なのが戸主の存在です。壬申戸籍では、家の中の誰を最初に置くかというと戸主です。これは単なる書き方の問題ではありません。
国家がその家を把握するとき、まず家の中心人物を定め、その人を基準に家の構成を見ようとしていたことを意味します。戸主は、その家を代表する存在として位置づけられていました。
そのため壬申戸籍では、戸主が先に記載され、その後に他の家族が続く構造が採られます。ここから分かるのは、壬申戸籍が家の内部を対等な個人の集まりとして見ていなかったということです。
まず中心に家の代表がいて、その周囲に他の構成員が配置される。そうした階層的な見方が、制度の中に最初から組み込まれていました。
尊属、配偶者、卑属という並び方には家の秩序が表れている
壬申戸籍では、戸主の次に誰が記載されるかにも意味があります。
基本的な並び方は、
・戸主
・尊属
・配偶者
・卑属
という発想で理解できます。
ここでいう尊属とは、戸主より上の世代にあたる父母などです。卑属とは、戸主より下の世代にあたる子や孫などを指します。この順番は、見やすさだけを考えて決められたものではありません。家の内部に上下の秩序があるという前提で記載されているのです。
つまり壬申戸籍の構造は、
・家の中心に戸主がいる
・その家の中には世代の上下がある
・配偶者も家の構造の中で位置づけられる
・子や孫はその下に置かれる
という、家の内部秩序をそのまま戸籍の並びに反映したものだったといえます。
なぜ個人ではなく家単位で把握する必要があったのか
では、なぜ明治初期の国家は個人ではなく家単位で社会を把握しようとしたのでしょうか。理由は、この時代の社会がまだ個人を基本単位とする社会ではなかったからです。
当時の国家にとって重要だったのは、
・どの家が存在しているか
・その家にどれだけの人がいるか
・その家を誰が代表するのか
・その家が地域社会の中でどう位置づいているのか
ということでした。
徴兵、課税、人口把握、身分管理といった国家統治の課題を考えても、まず把握しやすい単位は個人より家だったのです。
また、人々の生活実態も現在とはかなり違っていました。個人が独立した存在として国家に登録されるというより、家に属する存在として社会の中に位置づけられていたため、国家の側も家を基礎単位にして把握する方が自然でした。
壬申戸籍の構造には後の家制度につながる発想が見える
壬申戸籍の構造を見ていると、後に強く制度化される家制度につながる発想がすでに見えてきます。まだ後の家制度そのものではありませんが、少なくとも発想としてはかなり近いものがあります。
たとえば、
・家の中心に戸主がいる
・家族はその戸主との関係で位置づけられる
・家の内部には上下関係がある
・個人より家が社会把握の基礎になっている
といった点です。
つまり壬申戸籍は、単に古い戸籍というだけでなく、日本の戸籍制度がどのような方向に進んでいくのかを先取りしている制度でもありました。
壬申戸籍の構造を理解すると、後の明治19年式戸籍や家制度の戸籍が、なぜあのような作りになっていくのかも見えやすくなります。
戸籍の記載順は国家が社会をどう見ていたかを示している
戸籍の記載順は、ただの形式ではありません。どの順番で人を並べるかは、国家が社会をどう見ていたかをそのまま示します。現在の感覚では、家族を一覧にするなら単に構成員を並べているだけのように見えるかもしれません。
しかし壬申戸籍では、
・誰が中心か
・誰がその家に属するか
・誰がどの位置にあるか
が明確になるように並べられていました。
つまり、壬申戸籍の構造そのものが、国家による社会の見方を可視化しているのです。
国家は人を自由で対等な個人の集まりとして見ていたのではなく、家を単位に、その内部に上下関係を持つ秩序ある集団として見ていました。壬申戸籍の構造は、その視線をかなりはっきり残しています。
現在の戸籍と比べると何がいちばん違うのか
現在の戸籍制度と壬申戸籍の構造を比べると、大きな違いは、記録の中心が何かという点にあります。現在の戸籍では、個人ごとの身分関係が中心です。親子関係、婚姻、離婚、養子縁組など、個人の法的な関係が重視されます。
一方、壬申戸籍では、まず家の中心があり、その家に属する人々が位置づけられる形になっています。この違いはかなり大きいです。
今の戸籍は、個人の法的身分関係を証明する制度としての性格が強いのに対し、壬申戸籍は、家を単位とした社会秩序を把握する制度としての性格が強かったからです。
壬申戸籍の構造を知ると古い戸籍の見え方が変わる
壬申戸籍そのものは現在取得できませんが、その構造を知っておくことには意味があります。
なぜなら、古い戸籍を読むときに出てくる
・戸主中心の見方
・家を単位にした並び方
・続柄の感覚
・上下関係を前提とした記載
といったものの出発点が見えてくるからです。
壬申戸籍の構造を理解しておくと、後の古い戸籍を読んだときにも、なぜこういう順番なのか、なぜこういう考え方なのかが分かりやすくなります。その意味で壬申戸籍は、取得する戸籍ではなくても、古い戸籍制度を理解するための土台として重要です。
まとめ
壬申戸籍の構造は、個人ではなく家を単位に社会を把握する仕組みでした。
その特徴は、
・戸主を中心に記載されること
・尊属、配偶者、卑属という順で位置づけられること
・個人より家が社会把握の基礎になっていたこと
・後の家制度につながる発想がすでに見えること
にあります。
つまり壬申戸籍の構造は、単なる書き方の問題ではなく、明治初期の国家が社会をどう見ていたかをそのまま示しているものでした。この構造を理解すると、古い戸籍がなぜ戸主中心で、なぜ家を基礎に書かれているのかも見えやすくなります。
次の3本目の記事では、壬申戸籍には具体的にどのようなことが記載されていたのか、そしてその記載から当時の社会がどう見えるのかを解説していきます。
壬申戸籍の構造とは?戸主中心の家単位記載の仕組み
相続の戸籍まわりの全体像は
▶相続の戸籍の集め方と必要書類|解説記事一覧
にまとめています。他のケースや手続きも含めて確認したい方は、あわせてご覧ください。
